年を重ねるだけでは精神的な大人になれない
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カウンセリングには人間関係のご相談が多いけれど、話を聴いていると、他人に対して実年齢にふさわしい精神的成熟度を求めている人がとても多いなあと感じます。
でも、残念ながら、実年齢と精神年齢はかならずしも一致しません。
さらに残念なことに、年を重ねれば自動的に精神的に大人になるということもありません。
だから、「親だから」「上司だから」「年上なんだから」精神的に成熟した大人だと期待するのは期待しすぎなのです。そして、何に対しても期待しすぎると自分が苦しくなります。「こうあってほしい」という希望はあってもいいですが、「こうあるべき」という思いこみは手放したほうがラクになれます。
精神的な成熟というのは、精神的な鍛錬の末に得られるもので、自然に獲得できるものではないと私は信じています。
精神的な鍛錬とは、日頃から見聞を広め、自問自答をくりかえし、苦しいことやつらいこと、孤独や寂しさなどをしっかり味わうことだと思います。
よく自分のことがわからないというお悩みがありますが、自分のことを知るには、意識的に自分のことを知ろうとしなければなりません。大人になれば自動的にわかるわけではないのです。
どんなことでも、上手になるには努力や練習が必要ですよね。でも、上手になった人たちはいちいちそれまでの努力や苦労を語りません。特に、コミュニケーションや性格に関することは生まれつきだ諦めてしまっている人が多いですが、決してそんなことはありません。
だから、努力もしないで「できない」と自分を責めて開き直るのはもったいないかぎり。自分と向き合うことを面倒くさがって、日々漫然とスマホで暇つぶしをするのは、自ら成長を放棄しているのと同じです。
個人的には、そういう人ほど他人に対して批判的で、自分ばかり損をしているような被害感情をもっているように思います。ネットの炎上などその典型に思えます。
成熟した大人は、自分に直接の被害がないかぎり、他人に対して寛容でいられます。感情のコントロールが上手くできます。それは生まれつきでなく、人生のどこかで努力したからです。
他人に努力を強制することはできませんが、あなたが努力するのはあなたの意思次第です。「人は死ぬまで成長する」と言われているので、いつからでも大丈夫。一人でやるのに自信がなければ、私が全面的にサポートしますので、どうぞカウンセリングをお試しください。