乾 喜一郎(キャリアカウンセラー)- コラム「メモ:学ぶことはなぜ真似ることなのか、民具学、AI」 - 専門家プロファイル

乾 喜一郎
働く個人の側に立ち、資格や学びを活用したキャリアづくりを提案

乾 喜一郎

イヌイ キイチロウ
( キャリアカウンセラー )
『稼げる資格』 資格専門誌『稼げる資格』編集長
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メモ:学ぶことはなぜ真似ることなのか、民具学、AI

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2019-05-04 01:10

学ぶとは「まねぶ」、つまり、まねることだという。

何で真似ることが学ぶことなんだろう、もっと根っ子から、考えたりそういう高尚な、頭のいいことが「学ぶ」ことなんじゃないのか。

いや。真似なきゃわかんないことだからこそ、新しいことを学ぶことができる。

だって、頭で考えてできるようになること、というのは、今の自分と質的に同じ発想法の内輪でできるようになるということ。自分のいま手持ちの考え方で論理的に積み上げていって、演繹的に導かれることでしかない。自分の枠の中にとどまっているだけ。

学ぶ、ということは、それよりももっと先に進める可能性のあることなのだ。

 

真似るしかないから真似てみる。

なぜそうするのかはまだまだわからないけれど、とりあえず目の前の先生・ロールモデルの所作を目で見たり耳で聞いたりそうやって観察して、理屈はともかく身体で再現してみる。先生のクセのような、ノイズもいっしょに再現する。だって、それが先生個人のクセなのか、それとも本質に迫るような大切なことなのかは、まだその世界に入り始めたばかりの自分にはわからない。だからとりあえず、できるかぎりのことを読み取って、身体に命じて再現しようとする。

 

とはいえ、茶道でも介護技術でも、目で見たものをそのまま再現なんてできない。まずは何とか、右側にこれが見えたら、見え始めて3秒くらいしたところで左手を下ろす、そういうことできっと視覚を入れ替えようとしているに違いない、…そういうとりあえずの解釈を加えて、身体に命じていく。そうやって自分の身体が動いたりするようになってから、その自分も合わせて観察して、そもそもの基本、理屈を身体に写し取っていく。

 

考え方、理論が大事ではないわけではない。頭でわかることと、体に移すこと、両方が大事。どちらが先でどちらが後なのか、決まったことなんてない。でも、自分が理解している理屈だけを先行させると、身に移していくことのできる情報量は限定されてしまう。それでは、いざ実践に移そうとしても、身体は動かない。

 

民俗学者・宮本常一が民具を収集したときのエピソードを思い出す。確か広島の山中の、ダムに沈む村でのこと。一切選ばず、農具や生活用品、とにかく手に入るすべてを集めた。それは先生である渋沢敬三直伝の収集方針だった。もともとの歴史学や人類学の理論が先にあって、それをよく表す民具のできのいいものを一点ずつ集めるのがそれまでのやり方。せっかくの民具の持つたくさんの情報量は、そこでは意味がなくなる。もとの考え方に叶う情報しか読みだすことができなくなる。

でもぜんぶ集めたら、もともと持っていない考え方が見えてくる可能性がある。別のやり方で並べなおすこともできる。目の前にない基準。とにかく巨大な情報量。

 

いまAIがやってることってそういうことなのかもしれない。ビッグデータには、人間が感知できない波長の色や音も入っていて、ディープラーニングではそこも大きな情報量になっているという。その中からある程度筋のよさそうな仮説を次々と生み出し、計算力にまかせて検証をくりかえしていく、でもそれができるのも、もともと巨大な情報量を持っていたからだ。

 

資格の場合。取得した資格を活用するには、学習時点での価値観(つまり、その資格の世界に入り込む以前の価値観)に基づいて取捨選択してしまった情報では、圧倒的に足りない。取得後、イレギュラーなケース、曖昧な情報、人相手のコミュニケーションに対応していくには学び続ける必要があるわけだが、その学びのベースにすらならない。

一見いらないかもしれない情報量をどれだけ豊かに抱え込めるか。元の自分の価値観考え方と組み合わせ、新たな自分なりの価値を打ち立てていくためにはそういう準備が必要になる。

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