堀江 健一
ホリエ ケンイチグループ
家族ノカタチ10 父と子の確執と和解
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9回に渡って恋愛や結婚をテーマにこのドラマについて書いて来ましたが、実際はこのドラマの中心のテーマは西田敏行さん演じる父親と、香取慎吾さん演じる息子の「父子、親子の確執と和解」だと思います。
父親と子供のことはアンダーザドームでも触れてきましたが、世界中の映画やドラマでこのテーマは描かれています。
お母さんや、特にお父さんに自分を認めてもらえる事で「自分は世界からも認めてもらえる存在なのだ」と自信が持てて、他人たちともコミュニケーションを取って行ける勇気が持てるようになるものです。
スターウォーズも早い話が父と子の話です。
今回は一旦少し恋愛から離れて、父と子の話を書いてみたいと思います。
香取君が、上野さんにプロポーズして、2人の生活をしてみようと、心境の変化をもたらしたのにはやはりお父さんである西田敏行さんの影響が強かったのではないだろうかと思います。
口では散々お父さんに文句を言いつつも、段々「他者との時間の共有も良いな」と。
お父さん側から見れば、長年息子を省みず、自分だけで生きてきた自分(西田さん)が、息子の家に転がり込み、息子を愛している事を伝える事が出来たわけです。
そして長年胸に秘めていたお父さんへの怒りや文句や言いたい事を言えたと言う事で、香取君の中でも人を受け入れる気持ちを育てて行ったのだと思えます。
家族ノカタチでは、お父さんが一人暮らしの息子の夢の独身生活を送るために購入した理想のマンションに転がり込んでくるところから話が始まるために、あまり幼い頃の父子のエピソードがストーリに絡んでくることはなくて、あまり具体的には語られていません。
ただ会話の中でお父さんは自分の仕事である漁業のことばかりにかまけて、お母さんと息子の香取君のことはほったらかしだったようです。
子供の頃、香取君がそんなお父さんに文句を言ったり、反抗できていたのかは描かれていないのでわかりませんが、お父さんを憎んでおり、許せない存在ではあるようです。
しかも今になって自分の都合で勝手に押しかけてきて、勝手に息子の家に仲間を呼んで度々宴会を開いたり、バスタブの中に生きているイカを生簀代わりに飼ったり、部屋にスッポンが放し飼いにされたりして、大迷惑なお父さんです。
今の香取君は少なくともそんなお父さんに文句も含め言いたいこと言えているようです。
傍から見るとそこまで言わなくても良いんじゃない?と思うほどきつい言い方で。
関係を持とうとしないお父さんを憎んでいた香取君は、自分もお父さんと関係を持とうとせず、言いたいことを言うことさえして来なかったのだろうと思います。
コミュニケーションが無かったのです。
しかし、結果的に一つ屋根の下での生活を強いられて、ある意味関係を持つしかない状況に追い込まれて、初めて言いたいことを言えたのではないでしょうか。
人と親密な関係を持つということは、
言いたいことを言える関係を持つ事
と言えるように思います。
お父さんに限らず、人間関係を極力避けて、孤独を楽しんでいた香取君が、誰かと結婚してみても良いかなと思えるまでになったのは、このお父さんとも言いたいことを言える関係が結べるようになった影響が大きかったのではないかと想像します。
逆に言えば香取君が孤独でいたかったのは、人に言いたいことがあっても言えなくて、それが辛くて孤独を選んでいたのではないでしょうか?
結構他人に辛らつなコメントをクールに言っていた感もありますが、本来やさしい香取君は、なんだかんだ迷惑なお父さんを追い出しませんでしたし、お父さんの再婚相手の息子まで家に転がり込んできたのに、なにかと世話を焼いてやったりしていました。
自分に好意を持って近づいて来てくれる人に対して、特に冷たく対応していたように思います。
人懐こい会社の同僚・荒川良々さんに対してや
香取君に好意を寄せるOLの水原希子さんに対して。
表面的には孤独でいたいのに近づいてくるから、面倒だから突き離すためにわざと冷たくしているようにも見えますが、本心からいつも孤独でいたいわけではなかったのではないでしょうか?
人に対して心を開けない自分がいて、屈託なく優しさを示せない自分が苦しかったのではないでしょうか?
例え夫婦でも一人になりたい時だってあるものです。
でも、だからといって「あっちに行ってくれ。一人にさせてくれ」と言える人と、言えない人がいるかと思います。
私なんかは「あっちに行ってくれ」と言ってしまったら、相手が拒絶されたように感じて傷ついてしまうのではないか?怒ってしまうのではないかと思うため、なかなかそうは言えない方です。
でももし、相手もそんなことでは傷付いてしまったり怒ったりしない、本当に信頼関係で結ばれている相手だったとしたら、「今はあっちに行っててくれ」と言いたいことが言えたらどんなに楽でしょう。
言いたいことも言えなくて、そんな時、自分が言いたいことを我慢するしかなかったら、孤独の方が良いと思っても無理もないように思います。
もちろん、言いたいことがあれば何でも言って良いわけではないでしょう。
コミュニケーションというのはそこら辺のさじ加減が大変に難しいものです。
言いたいことがある程度言えることは自分も相手にとっても幸いなことです。
言いたいことを何でも言う人は、相手からすると辛い思いをすることもあるかも知れません。
言いたいことが言えないと、いつも自分が我慢したり、そのことで被害者になってしまったり、被害者意識が高くなってしまい、大変辛いことになります。
相手からしても「言ってくれなきゃわからない」ことがほとんどだと思います。
「言わなくてもわかってよ」と思うこともありますが、それは無理なことですという話は「あすなろ三三七拍子」で書いてみましたので、併せてお読みいただければと思います。
心理学用語で「自他の分離」と言う言葉があります。
色々な意味で使われるのですが、広義の意味として
自分と他の境界が曖昧になり、他人や物が自分の体の一部であるかのように感じられる状態を自他の分離が出来ていない状態と言います。
自分が思っていることは、他人も思っていること。と思い込んでしまっている人がいます。
自分が好きなものは、人も好きだと勝手に決め付けていたり
自分がしたいことは、他人もやりたいことだと疑いもせずにいたり
他人が自分に望んでいることが、自分もそうしなければいけないことだと無条件で信じ込んでしまっていたり
その様な状態は、あまり良い感じではないですよね。
自他の分離がどのくらいできているかが、その方の人間的な成熟度を図る上で重要な要素となります。
言いたいことを言うということは、自分が何をどう思っているのか伝えることになります。
と、同時に相手が何を考え、思っているのか教えてもらうことにもなるでしょうね。
まだ子供の時期にはこうした自他の分離はまだ出来ません。
家族の中で、子供は子供ですからお父さんが言う事が絶対的で、子供はお父さんの言う事を信じて、受け入れるしかありません。
お父さんが「お前の言っている事は間違っている!言う事を聞け!」と言われたら聞くしかありません。
お父さんに「お前はダメな奴だ」と言われてしまったら、「自分はダメな奴なんだ」と信じる事しか出来ません。
やがて成長して来るに従って子供には子供の意見や主張が出てくるようになります。
この時期にお父さんが「お前も大人になったな。お前の言う事は正しいよ」と、子供を認めてあげることも必要になってきます。
しかし、もしお父さん自身が自他の分離が出来ておらず、いつまでも「自分だけが正しい」と主張するお父さんだったら、子供は「私の言っている事の方が正しい!」と反抗するようになります。
反抗期ですね。
反抗期がある事は、子供の精神的な成長には必要なものなのですが、ここで反抗できないと「いつまでもお父さんの言っている事が正しくて、自分が思っている事の方が間違っている」となり、自分を信じる力、つまり自信が育ちません。
それに加えていじめなどに合い、学校に居る他人からも否定的にされてしまったら、「他人が言う事の方が絶対正しいのだ」と、自分でも自分を否定的にしか見る事が出来なくなってしまいます。
その人の一生を決めてしまうほどの深い傷を負ってしまう事になるのです。
自己否定的な方は、すぐにでも「お父さんはいつも正しいのか?人はそんなに正しいのか?」と疑い
「自分の考えだって正しいのではないのか?周りの方が間違っていることもあるんじゃないのか?」と、
今まで信じて来たことを疑って見るべきではないかと思います。
終盤、お父さんが癌であり、余命がいくらもないことがわかります。
自分でも病気のことを薄々わかっていたのかも知れません。
だから、人生の最後に、孤独に生きている息子のことが心配で、あえて強引にマンションに転がり込んできたのかも知れません。
最後に人と交わることの大切さや楽しさを教えるために。
息子を自分の殻から救い出すために。
ですからお父さんのお葬式の時に、香取君が上野さんにプロポーズしたのは、場違いなコメディーではなくて、まさにお父さんのためにも最高最適な場面だったのだと思います。
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