大園 エリカ(クラシックバレエ教師・振付家)- コラム「不善があるから善がある」 - 専門家プロファイル

大園 エリカ
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大園 エリカ

オオソノ エリカ
( 東京都 / クラシックバレエ教師・振付家 )
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
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不善があるから善がある

- good

2015-09-10 06:00

前回のコラム「前世やカルマというものの解釈」シリーズで、

 

「何故99人(説によっては999人)もの人を殺した残酷な殺人鬼のアングリマーラが許されるのか!? 世の中にそんな不理尽な事が有って良いのか!?!?!?」と、納得の行かない方達も多くいらしたのではないかと勝手に推測致しましたので、(笑)

 

今回は、そのお答えのヒントになるのではないかという「老子」からのメッセージをお届け致します。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

よい行いというのは、

他人に吹聴するものではない。

よい言葉は、

かげりもキズもない、磨かれた玉のように

嘘偽りなく、

透明だ。

 

 

よい行いは、

計算ずくでないから、

ソロバンも計算機もいらない。

遂行する人たちの信頼関係は、

いかなる鍵でも開かない扉のように

固くロックされている。

固い絆は、

縄などなくても、

しっかりと結ばれている。

 

 

行動やふるまいというのは、

自然と同じだ。

道具を使うことには限界があるが、

形のないものには限界がない。

 

 

善人は、

善のパワーを使いこなす。

どんな人に対しても、

善のパワーを信じ、

引き出すことができる。

 

 

世の中には、無用な人材などいないし、

切り捨てる人材もいないから、

善のパワーで

人を活かして使う。

ものに対しても、

なにかに活かして使おうと考えるので、

いらないものや捨てるものなど

でてこない。

 

 

どんなものでも利点や活用法があり、

捨てるものなどない。

これを襲明(しゅうみょう)という。

 

 

よい行いをする人は

人々の手本となるが、

それも、

よい行いができない人がいるから、

師となるのである。

よい行いができる人は尊敬されるが、

よい行いができない人からも

学ぶことも多い。

 

 

よい行いは、誰もができそうで

できるものではない。

よい行いができない人がいるから、

よい行いについて、

よりいっそう考える機会が与えられる。

 

 

よい人をないがしろにしてはいけないと、

誰もが、理解している。

しかし、よい行いができない人をも愛することは、

やさしいことではない。

不善があるから、善を学べる。

 

 

善人は不善の師であるが、

不善もまた、善人の師なのだ。

だから、師として貴ばず、

そのよりどころを愛さなければ、

智者といえどもおおいに迷うだろう。

これを要妙(ようみょう)という。

 

 

 

(※「こころが安まる老子」 伊藤淳子 訳 より)

 

 

 

 

 

月のオーラを感じる一枚♫

月と老子は、何だかマッチ致しますね~~~♫

老子って燻(いぶ)し銀の様な魅力を放っていて、わびさびの世界観に通じるものを感じます♫

(^^☾

 

 

 

若い頃に「この世には "必要悪" というものが有るのだ」と或る方が言われたのを聞いた時に、その言葉は非常にインパクトが有り、とても印象深く私の中に残ったのですが、

正義感の強かった若い頃の私は、イマイチ良く理解できなかったものでした。

(^^;???

 

でもこの世はお互いの "魂磨き" の為に切磋琢磨しているのだとしたら、それは誰かが「悪役を演じなければならない」という事から来る言葉なのかな?と思います。

☆_(_☆_)_☆

 

この様な説もありますね?

 

それは生まれる前にソウルグループの仲間達と相談して「僕は今度は酷い事をする人間を "許す" という経験をして愛を学びたいんだ!」という仲間に対して、

 

「じゃあ、今回は僕がその憎まれ役になって悪役を演じよう!そうして僕もその立場から "許される" という愛の経験をしよう!」と、それぞれの役割を各自で決めて、そして生まれる前はお互い何もかも忘れて生まれて来るという説です。

《 ゚Д゚》!!

 

その様に考えたら "必要悪" というものの捉え方を、私達は深く理解できるのかもしれませんね?

(^^✿

 

ちなみに、アングリマーラの前世(過去からの学び)では、もしかしたら彼は無実なのに誰かの陰謀の為に罪を着せられ、群衆によって惨殺されたという経験をしていて、

生まれ変わった彼等はその経緯をお互い覚えてはいませんが、その解消されていないカルマから、今度は殺す立場の殺人鬼となった彼に殺されたのは、その過去で彼を残酷に殺したという因果を持つ人間達であったのかもしれませんね?

《 ゚Д゚》!! 

 

そうして繰り返されて来たお互いのカルマがお釈迦様の深い理解により、あの様な「カルマ解消」という形と成れたのかもしれないのですよね~~~?(…と、これは私の勝手な考察ですが♫)

( ・・) ~ ☆彡

 

 

とにかくとにかく「カルマ」というものは、ちっぽけな視野しか持てない私達には到底計り得る事のできないシステムとして仕組まれている様だという事は、間違い無い様です。

本当は宇宙の法則はシンプルなのですが、それを複雑にしているのは私達のエゴなのでありましょう!

(^^;(^^;;(^^;;;

 

そしてもし、この世は「悪の勢力の方が強い」と感じるならば、

それはそれだけ私達が未熟なので、「愛」に付いて学ばなければならない事がまだまだ山ほど有るという事の裏返しなのかもしれませんね!

(・・;;;

 

 

ガム張りましょう!私達ッ。(笑)

♡_(_♡_)_♡ 

 

 

 

 

 

 

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