対象:心と体の不調
以前3ヶ月ほどメンタルクリニックに通いました。
先生とスタッフの方は口調も穏やかでとても柔らかい感じでした。
しかしそのクリニックが良い悪い訳ではなく、自己申告だけで病名が決まり、表面的な事を話し取り繕いお薬を頂く治療。厭らしい邪推をすると先生方も生活の糧。
不満はなくても…当たり前ですが根本的なものが解決出来ず、短いですが行くのを止めてしまいました。
もちろん人間は神様ではなし万能でも完全でもありません。誰でも調子が良い悪いもあるし悩みを抱えて生きてるのは分かります。
けれど人から見るとクダラナイ些細な事でクヨクヨ甘える自分が嫌で堪りません。普通の人なら乗り越えるのに、私の場合時間だけ過ぎて乗り越えた感は全くありません。それどころか行動にまで現れるので、周囲の迷惑ときたら大概だと思います。
人生は様々だし哲学論はキリがないと承知ですが、心の風邪?
所謂、正常と異常の違いは何なのでしょう?どうすれば治る?上手く付き合える?
答えも出ず弱い自分と何時でも向き合うのは苦しいです。
(自己主張ばかりの投稿で申し訳ありません)
ふくろまめさん ( 岡山県 / 女性 / 35歳 )
回答:2件
西田 淑子
ビジネスコーチ
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「人生とは生きる事を学ぶ学校である」
そもそも、人間の心の正常と異常の違いがあるのかどうか、甚だ疑問です。もし正常と異常があるのであれば、誰がそれを決めたのでしょうか。もし決めた人が居るならば、その決めた人の心が正常であるか、異常であるかを誰が判断できたのでしょうか。
まるでクレタ人は嘘つきだとクレタ人が言ったらそれは嘘か真か、という永遠の謎のような疑問です。
あなたは「人から見るとクダラナイ些細な事でクヨクヨ甘える自分が嫌で堪りません」、と分かっていらっしゃるということは、他人の目になることが出来るという事ですね。つまり、自分のことをまるで他人のように見ることが出来るとうことです。これは素晴らしい能力です。
だとすれば、些細な事を気にすることが出来てそれに甘える事が出来る人を、クダラナイ人だと見下すような事をする他人の方が、よっぽどクダラナイ人間だとは思わないのでしょうか。
「普通の人なら乗り越えるのに、私の場合時間だけ過ぎて乗り越えた感は全くありません」、ということは、やはりあなたは他人の目になることが出来る人ですね。
上手く乗り越えることが出来る人は、どのように乗り越えるか、を考える前に、何を乗り越えるのかを、先に見つけることが出来る人です。乗り越えるものが見つかれば、おのずから乗り越える方法を発見するきっかけも見つけることが出来ます。
「それどころか行動にまで現れるので」、行動力のある方ですね、あなたは。だから、乗り越える何かを見つけることが出来たならば、きっと乗り越えるための行動を始める事も出来るでしょう。
人間は神様ではなし万能でも完全でもありませんから、失敗を繰り返しながら本当の自分を発見していきます。もし「人生とは何か」と質問されたなら、私がかつて、ある人に同じ質問をして得た答えを、その質問の答えとして答えましょう。そして私自身もまだ、全ての人と同じように、その事を学び続けているのだとい事を発見し続けています。
「人生とは、生きる事を学ぶ学校である」。
評価・お礼
ふくろまめさん
2014/02/15 23:42はじめまして。丁寧にお答え頂きまして有難うございます。
読みながら涙がこぼれました。
上手くその気持ちを表す事が出来ないけれど、暖かいお言葉に許されたような、こんな自分を認めて頂いたような…。
文面だけではとても書ききれないのですが、すごく心に響いた有難いお言葉です。
まだまだこれから。まず自分にとっての課題を洗い出す事からですが、頂いた言葉を胸に躓いてコケても、しっかり学びながら生きていきたいです。
迷ってしまったら何度も見返します。
本当に有難うございました。
山本 美穂子
心理カウンセラー
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出口が見えないのは、出口へ向かっていないから
はじめまして、やまもとみほこと申します。
文章を読んで賢い方なのだなという印象をうけました。
なおかつ自分自身と向き合い、積極的に現在の状態を癒したいけれど、とっかかりもなくこの先の方向性や具体的な方策などが見えず無力感からグルグル回っていらっしゃるのだなぁと感じました。(失礼なこと申し上げていると感じられたのならごめんなさい)
心の病気はどなたでもかかる可能性があります。心のかぜという表現であるなら鬱であろうかと推測してお話しさせていただきますね。(違う病名でしたらおっしゃってくださいね)
目に見えない心の分野には思考と感情と霊性の分野があります。
現代では小さなころから教育により私たちは考えること=思考を発達させてきました。
思考を使ってこの先起こりうる可能性を予測し、未然に防ぐまたは回避することによりより良い未来を創造できるという誤解の元、私たちは無条件に思考しつづけています。
けれど、思考と体験は全く別物であり、おっしゃるように現実では予測不可能な出来事が起こりうる可能性の方が高いのです。
無意識に思考するパターンに陥っている現代人は、予測不可能な事態にどのように行動すればいいのか指針が見えなくなると混乱という体験が起こってきます。
この混乱の体験が起こった時に、さらに思考することで事態はより複雑に先の見えない袋小路に入り込むことになります。混乱の体験がさらに混乱してしまう堂々巡りの図式になります。
この混乱を体験として捉えて思考を止めて、混乱がどんな感じなのか感じてみると、それがそれほど恐ろしい体験ではないことに気がつかれるでしょうか?
思考をすることを止められると、自分自身を鞭打つ声も、自分に向けられる数多の非難中傷の幻想の声も止まり、クヨクヨ考えることも自分を弱いダメな自分だと決めつけることもなくなり、少しづつ気持ちが上向きになってきます。
心のかぜは人生で起こっていることを感じられず、自分が今感じている感情が分からないから起こってくると一般に言われています。
「今、何を感じていますか?」こう聞いたときにほとんどの方が「〇〇だと思います」とか「〇〇だと考えました」という答えが返ってきます。
これは思考です。
その状態をどのように感じるのか、体験として感じることへと移行していったときに、思考で人生を何とかしようとすることに限界を感じられるようになります。
思考することをやめ、自分が今なにを感じているのか、感情を感じてゆくと、自分への理解が芽吹いてきます。
感情が感じられるようになってくると、鬱は快方へと向かい始めます。
何が正常で何が異常なのかの問いに関して私が言えることは、今自分に何が起こっているかわかっているかいないかの違いでしかないと思います。
どのように変な状況や状態であっても、混乱に足元をすくわれず、落ち着いて身体に異常がないか感じて、冷静に次の手を打てるかどうか。
心のかぜと言っても肉体的にどうにもならないくらいの倦怠感だったり思うように体が動かせないといった症状があれば、その症状に対して病院に行くことやお薬を飲むことで体調管理をしながら、狂ってしまったホルモンバランスを整えていく必要もあるかもしれません。
一つ一つ、今自分に何が必要で、何が必要でないかを見極める目を養ってください。
今やっていることに結果が出ないなら、たぶんそのやり方が今の状況に合わないだけで、あなたが悪いわけでもダメなわけでもないのです。
落ち着いて、他のやり方はないか探して、一つ一つ試してみるのはいかがでしょうか?
どんなに八方ふさがりに感じる状況であっても、必ずどこか一か所空いている方向はあります。
あきらめないで、必ず方法はありますから。
評価・お礼
ふくろまめさん
2014/02/16 22:39はじめまして。具体的なお答えを頂き有難うございます。
ご指摘のとおりクリニックでは鬱だと診断されました。けれど自己申告で症状を訴え問診する、果たしてそれが自分の勘違いや甘えでないのか、正直言い切れなくて。
本当に、見てました?と聞きたくなる程グルグル同じところを堂々巡りしています。
元々の性格や考え方なんかもあるとは思いますが、出口に向かいたいのにどこが出口か分からなくて。
思考と体験のお話、大変参考になりました。私の現状は「思考」にとらわれ過ぎた状態なのかなと、自分では発想出来ない気付きを得ました。
少し時間をかけて冷静に導いていきたいです。
糸口を頂きました。
本当に有り難うございます。
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